幾保比城(幾保比城址)


読み仮名 きほいじょう
別名 競城、鹿角砦
所在地 七尾市田鶴浜町吉田
形式 山城
築城者 三室孝原?
築城年 鎌倉〜室町時代
遺構 郭、空堀
歴代城主
交通  
  
 この城は伝承によれば、仲哀天皇の頃、外船がしばしば能登の港に入港したので、 その警戒のために三室孝原が築いたとされている。一方城郭研究者の佐伯哲也氏は「前田利家等織田家武将が赤蔵神社の監視城として築いた臨時城郭という仮説が立てられる」(石川県教育委員会『石川県中世城館跡調査報告書U(能登T)』2004年,P.28より)としている。
 室町・戦国時代では、七尾城を西(外浦)から攻めて来るルートから守る役割を担ったと言われる。現存の遺構は天正期以降で高度な技術で改修されたであり、上杉か前田の手によって改修されたと思われる。

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