定例チャット第五回討論会、過去ログ\
「水軍について」

平成十四年弥生十五日金曜日−チャット独楽亭にて(一部抜粋・修正)
(参加者:悪食応其殿、ぴえーる殿、長続連殿、畠山匠作源義綱)


長続連(以下続連略):が参上いたした。
続連:皆様こんばんわ
ぴえーる:こんばんは〜。>長殿
畠山匠作源義綱(以下義綱略):こんばんわ。>長続連殿
義綱:なんだかんだで参加者4人になりましたね(^。^)

ぴえーる:千葉が田舎なら熊本の立場は〜?(笑>応其殿
悪食応其(以下応其略):そーさ、だからしりんも買ったさ、仙台藩のもかったさ・・・ううぅ(涙
続連:水軍の話て何からしましょうかね〜。そいえば頼朝の側近の梶原景時が水軍と関係あるとか
応其:うぉ、いつのまにやら長殿がいらした(驚。こんばんは〜
ぴえーる:北条水軍に梶原某っていませんでしたっけ?>長殿
義綱:順当なら、瀬戸内海か、関東の海ですよね。<水軍
応其:俺、戦国わからんのー。知識的に水軍やばいのー。
義綱:水軍というと、藤原純友とかも海賊といっしょになって行動していますよね。相当歴史は古いのですね。
応其:梶原、九鬼、安宅、村上とかかのー
ぴえーる:安東水軍って存在したんですか?とかいう話を希望(笑
続連:その御先祖様らしいです。詳しい系譜はしりませんが>ぴーえる殿
義綱:河野の水軍、毛利水軍、九鬼水軍、里見水軍と水軍は結構ありますよね。
義綱:安東?あの東北のですか?<ぴえーる殿
応其:奈佐日本介?
ぴえーる:上杉家に水軍はあったのでしょうか?
義綱:真田十勇士でしたっけ<奈佐日本介
義綱:これが不思議に、日本海側ではとんと聞きませんね<水軍
続連:水軍て概念にどこまで含むかというのもありますねー。まあ純友は中世水軍の嚆矢でしょうね>畠山殿
ぴえーる:です。某シミュレーション小説で知って以来、気になっていて。<安東水軍>義綱殿
義綱:ただ、敦賀や輪島や越後などにもかなり大規模な湊はあったようですから、船の行き来は活発だったようです。
続連:その御先祖様らしいです。詳しい系譜はしりませんが>ぴーえる殿
義綱:河野の水軍、毛利水軍、九鬼水軍、里見水軍と水軍は結構ありますよね。
義綱:安東?あの東北のですか?<ぴえーる殿
ぴえーる:上杉家に水軍はあったのでしょうか?
義綱:真田十勇士でしたっけ<奈佐日本介
義綱:これが不思議に、日本海側ではとんと聞きませんね<水軍
ぴえーる:山中鹿介に協力した人では?<奈佐日本介 ぴえーる:細川水軍は……ちょっと違うか(^^;)<日本海側
義綱:ああ、そうでしたね。確か○○女之介とかもいて、気味悪がって鉄砲でも撃たれなかったとかで
義綱:↑<奈佐日本介
ぴえーる:井筒女之介でしたっけ?>義綱殿
続連:水軍が海上貿易に関わる武士と定義するなら日本海でもいるのでは
義綱:それに、一般の民間定期船は航海していたみたいですし。<日本海側
ぴえーる:武田水軍は武将が解ってるのに、上杉水軍は話も聞きませんね(^^;)
応其:奈佐はわこーの先駆けかい?
義綱:そうですそうです。たしかおしろい塗ってたとか<井筒女之介
続連:尼子関係の武士はわかりませんなあ〜
ぴえーる:倭寇の方が時代が先では(^^;)?>応其殿
義綱:某ゲームでは畠山も「弥郡」氏が水軍にさせられていますが、ほんとのところはわかりません。
義綱:海上貿易とは、しごく当たり前に行われていただけに、それだとなかなか水軍として名前が残る人物は少ないかもしれませんね。
応其:駄目だ、水軍はまったくお手上げ。
続連:倭寇の記録上の初見は1220年だったかな
義綱:そういえば、畠山家は海上輸送で、出羽から馬を購入していますし、水軍というか海上貿易は本当に盛んだとみて間違えないでしょう。
ぴえーる:上杉家も直江津を領していたから貿易はかなり盛んでしたでしょうね。
続連:あまり日本海側の武士研究がないのもあるかも。それに戦後歴史学の武士の基本は農村支配をする武士とされてたのも関係あるのでは
応其:長殿は中世史もOKですか。感服つかまつる。
義綱:前回のチャットでは、日本海側では守護権で海上の安全は守られているという話で、日本海側の水軍の活躍が大きくないということになりましたが、
続連:私は中世の長氏のほうが領域かも
義綱:それでは、太平洋側と日本海側の違いはなんなんでしょうかね。
義綱:長胤連くらいの時代ですか?<続連殿
義綱:早いHPの復帰お待ちして入ります>続連殿
続連:そうでしたね〜>畠山殿
義綱:もう、1年も前のことなので忘れてしまいそうですが<そうでしたね〜
ぴえーる:日本海側には海賊がいなかったせいかな(^^;)<安全
続連:hp
ぴえーる:和船の本にはちょっと前、目を通したのですが、海運のことはちっとも解りませんなぁ(^^;)
続連:HPはもうしばしお待ちを〜。
義綱:東シナ海には倭寇が、瀬戸内海、太平洋側には海賊がいて、日本海側に海賊がいないのは、なんででしょうか?
義綱:お待ちしておりますm(_ _)m<HP
ぴえーる:たまたまそういうのが居着かなかっただけでは(^^;)>義綱殿
義綱:結局水軍といっても、九鬼や毛利みたいなものではなく、普通の船で、海賊行為を働くという武士も入ると思うのです。
続連:瀬戸内海水軍は中世の中枢経済都市、そして対外的窓口大宰府とつながってることも関係ありそうですな
義綱:前回では日本海側に隠れる場所(小さな島)がないから?とかという話にもなったのですが、太平洋側にもあまりませんよね。
続連:中世の都市て大宰府、京都、鎌倉が基本ですからねえ・
続連:海賊行為というのが何をいうかもあるのでは
義綱:確かに鎌倉期はそうですね。<大宰府・京都・鎌倉
義綱:金品を奪う、航海の安全を保障する(護衛)でしょうか<海賊行為
ぴえーる:村上水軍は金を取るかわりに安全を保障していたんですよね。
続連:関東公方いますから、室町にもあてはまるかと
義綱:ただ、室町・戦国期になると、日本海側にも有力な大名や経済力を持った都市が出来てきて、日本海側の流通も盛んになっていったのだと思います。
ぴえーる:九鬼水軍も同じようなことをやっていたはず。
義綱:海上交通の発達の起源にも水軍の形成に影響しているかもしれませんね、即ち・・・
続連:武士身分で、理由なく金品を奪うのはいないのでは。そんなことしたら処罰されるはずです。
義綱:即ち、古くからの海上交通は、従来型の海賊多発地帯、室町以降の海上交通は守護を中心とした海上交通。
義綱:そうですね。ほとんどこれが主な仕事かもしれません。<村上水軍は金を取るかわりに安全を保障していたんですよね
義綱:まあ、ちょっと違うかも知れませんが、関銭・船改銭のように通行料を取る水軍、護衛として安全料を取る水軍とが、主な活動になっていたかと思います、ほぼ、海上交通を使用するには、護衛はつけるのが常態化していたようですし(瀬戸内海では)
続連:中世は基本的に自力救済ですからね〜。金を出して安全を保障するのは、当然というきもします
ぴえーる:太平洋側は航海が大変だったから海賊があちこちにいて、日本海側は航海がしやすかったから海賊が誕生しなかったというのは?
義綱:まあ、航海の安全と、海賊が儲かる一石二鳥なシステムだったのかもしれませんね。<金を出して安全を保障するの
義綱:大名たちも、無理に海賊達を解散させないで、こうした海賊を支配下において水軍としたのではないでしょうか?一方、新しく海上交通を発達させた日本海側では海賊というシステムがなかったので、独自に守護大名達がルールをつくったとか・・・。(でも本当に単に研究が進んでいないからだったりして)
続連:水軍と航海者の関係は、相互扶助的な関係だったとおもいます
ぴえーる:瀬戸内海は航海が大変だったといいますから、相互扶助というのは重要だったでしょうね。>長殿
義綱:立場は対等だったということでしょうか?<相互扶助
続連:平安鎌倉期も日本海側も能登や越前とシベリアと交易してたから、室町以降盛んになったといえるかなあ
義綱:対外貿易と、国内ルートでは、海賊の方法も全く異なると思うのですが。<シベリアと交易
続連:そりゃ対等でしょう。自分のみは自分の身でまもるのが中世の基本ですし。
義綱:古くは、能登も渤海と交易していましたよね。ですが、これは、回数も戦国の海上交通より少ないですし、国内交通は陸に近い海を航海しますし・・・。
ぴえーる:対等というよりも、現実問題として金払って頼らないと仕方が無かったのでは?>義綱殿
義綱:どうしても、守られる方が立場が弱くなりませんかねぇ<立場
義綱:私もそのように思うのですが・・・>ぴえーる殿
義綱:まあ、ちょっと違うかも知れませんが、関銭・船改銭のように通行料を取る水軍、護衛として安全料を取る水軍とが、主な活動になっていたかと思います、ほぼ、海上交通を使用するには、護衛はつけるのが常態化していたようですし(瀬戸内海では)
続連:中世は基本的に自力救済ですからね〜。金を出して安全を保障するのは、当然というきもします
ぴえーる:太平洋側は航海が大変だったから海賊があちこちにいて、日本海側は航海がしやすかったから海賊が誕生しなかったというのは?
義綱:まあ、航海の安全と、海賊が儲かる一石二鳥なシステムだったのかもしれませんね。<金を出して安全を保障するの
義綱:大名たちも、無理に海賊達を解散させないで、こうした海賊を支配下において水軍としたのではないでしょうか?一方、新しく海上交通を発達させた日本海側では海賊というシステムがなかったので、独自に守護大名達がルールをつくったとか・・・。(でも本当に単に研究が進んでいないからだったりして)
続連:水軍と航海者の関係は、相互扶助的な関係だったとおもいます
ぴえーる:瀬戸内海は航海が大変だったといいますから、相互扶助というのは重要だったでしょうね。>長殿
義綱:立場は対等だったということでしょうか?<相互扶助
続連:平安鎌倉期も日本海側も能登や越前とシベリアと交易してたから、室町以降盛んになったといえるかなあ
義綱:対外貿易と、国内ルートでは、海賊の方法も全く異なると思うのですが。<シベリアと交易
続連:そりゃ対等でしょう。自分のみは自分の身でまもるのが中世の基本ですし。
義綱:古くは、能登も渤海と交易していましたよね。ですが、これは、回数も戦国の海上交通より少ないですし、国内交通は陸に近い海を航海しますし・・・。
ぴえーる:対等というよりも、現実問題として金払って頼らないと仕方が無かったのでは?>義綱殿
義綱:どうしても、守られる方が立場が弱くなりませんかねぇ<立場
義綱:私もそのように思うのですが・・・>ぴえーる殿
続連:国家権力は安全保障しませんしねえ>ぴえーる殿
義綱:陸上でも、惣村は悪党から村を守るため、堀をつくったり、自警団のような組織をつくっていますよね。それでもダメな時は、お金を支払うと。
続連:立場かあ、でも水軍としても航海者の納入金が収入源だから、粗雑に扱えないきもします
応其:あんまり話についていけーねーから上杉の水軍関係調べてたよ
応其:結局、わかんねーや。ぴ殿、そういえば米沢藩士の系図は「上杉家御年譜」の23,24巻にあるよ。
応其:以上。
ぴえーる:おっ、何か解りましたか?<上杉水軍>応其殿
ぴえーる:ぐはぁ(笑<わかんねーや>応其殿
義綱:水軍も、通行税を取っているくらいの気持ちだったのではないかと思ったのですが。
応其:ごめん、斜め読みだし、わからん>ぴ殿。ちゅうか俺は今日は居なかった事にしてくれ。
ぴえーる:九鬼氏は当然と思っていたふしがありますね。<通行税>義綱殿
続連:日本海交易で思い出しましたが、若狭の海上交通は北条氏が保証許可証与えてました。航海者は三鱗の旗を立ててたそうな
義綱:北条(きたじょう)氏ですか?<続連殿
義綱:↑思いっきり厨房なことをきいてしまっているかも私<北条氏
続連:違います(笑)、執権北条氏です。ややこしいな(笑)
義綱:となると、当然水軍同氏の利権争いなんかもあったのでしょうね<ぴえーる殿
義綱:北条は、執権北条や中先代の北条、後北条もいますからね<ややこしい
義綱:となると、鎌倉時代から日本海海上交通は盛んなのですね>続連殿
ぴえーる:そんなテリトリーがかぶってないから大丈夫なのでは?<利権争い>義綱殿
ぴえーる:ちっ、愛知県内には上杉家御年譜は置いてないのか……。
義綱:あんまり、水軍同士の対立はおこらなかったのですね。>ぴえーる殿
続連:利権争いがあると思います。北条氏からの許可証をもらって三鱗旗立てるのも、そのためかと
応其:大丈夫、上杉家中はあんまりおもしろくない>ぴ様
義綱:と、結局は日本海側には海賊というか水軍は存在した、ということになりますか?>続連殿
ぴえーる:志摩は国内で争ってますけどね(^^;)>義綱殿
ぴえーる:マイナー武将の子孫がいなければどうでも(笑>応其殿
続連:そうですね〜。北条氏に特権保証されたのは越中にも拠点あったらしいですし>鎌倉期海上交通
義綱:大名にとっては、領域内の安全を図るほか、水軍を支配下におさめることにはどんな意義があったのでしょうか?
続連:あ〜。やっぱ、水軍というか海賊というより、海民という方がいいかもしれませんが。海民なら日本海を活発に往来してたらしいです
義綱:そうですね。海民の定義にもよりますが、日本海側で活発な事は網野氏の研究でも明らかになっていますね。<海民
続連:大名の水軍支配目的は、北条氏の政策の延長上だとは思います
義綱:金銭的な魅力はなかったのでしょうか?<水軍支配下
義綱:能登でも、海上見張り施設を陸上に建て、関銭、船改銭をとっており、収入を上げていたとは聞くのですが。
続連:あとは、中世の自力救済的法秩序を否定する目的もあったのでは>大名の目的
義綱:なるほど、自己の権力下におくことで、完全は支配権を得る。分国法のような目的でしょうか?(ちょっと違う?いや大分違う?)
義綱:ああ、なんか今日は自分の言っていることが滅茶苦茶・・・。
続連:金銭的魅力も、分権的な中世を統合していく、近世への変容と関係ありそうです
義綱:主催者の手前、大変申し訳ございませんが、すでに睡魔の影響で、思考力が激減です。
義綱:本日は申し訳ございませんが、この辺で落ちさせて頂きます。誠にすみません。
ぴえーる:ではそろそろお開きにしますか?>義綱殿
義綱:続連殿、ぴえーる殿、悪食応其殿、ご参加していただき誠に有難うございます。
応其:おやすみー、って何しに来たのか(藁
義綱:それと、同時にこのテーマは、瀬戸内海の水軍たちと、日本海の海民とをよーく比較しないと、なかなか論議が進まない事もわかりました。
義綱:私にとって非常に収穫です。
続連:私は大名が水軍の徴税権を接収するのは、中世の分権的な体制を否定し大名への権力集中を意味するということというか、分国法もこの流れの一貫だと思います
義綱:余談ですが、そーてんろく、データだけ楽しみにしているがまだでない。
義綱:おお!この点だけでも私には凄く勉強になります<権力集中を意味
ぴえーる:そろそろ嵐世記でも買おうかと考えてみたり。ユーザ登録の新武将落ちてないかなぁ?(汗
続連:私も水軍・海賊・海民の概念の検討や比較が必要と思いましたね
応其:また発売日に報告しますんでお楽しみに(藁>蒼天録データ
ぴえーる:すでに以下略です(謎笑>応其殿
義綱:まあ、戦国時代は特に専制化を進める時代でもありますし、その意味でも、大名権力の下におきたかったという点は非常に価値ある一言だと思います。
続連:蒼天録は、どうしようかな〜
義綱:あとは、いつ近代水軍(船同士の戦い)になったのかも知りたいです。江戸期からでしょうか?
応其:なるー(藁>ぴ殿
続連:私ももう少し予習すべきでしたね。
義綱:また、武将ファイルだけになりそうな予感(笑)<蒼天録
応其:正直、いつでんのよって感じ>蒼天
義綱:いえいえ、これは私の呼びかけとテーマ設定がいけませんでした。個人的には皆さんの意見が聞けて大満足です>続連殿
続連:近代水軍は幕末でしったけ
義綱:この時点で体験版もでていないので、4末・5初くらいでしょうか?<悪食応其殿
ぴえーる:船同士の戦いというのは要は遠距離兵器のみで戦うということですか?>義綱殿
義綱:織田の九鬼水軍もある意味近代水軍といえなくもないですが、文録の役で李舜臣などの水軍にコテンパンニされている所をみると、まだまだ水軍のレヴェルは低かったのかと。
応其:話は変わりますがゲームキューブ買ってしまいました。ソフトは無いです。
ぴえーる:愛知大学豊橋図書館にあるけど遠いなぁ。
続連:遠距離というか、火器使用が主流になるのは、17世紀あたりの西洋では。
義綱:「近代」というと、ちょっと言葉が先行してしまいましたが、ようはぴえーる殿のおっしゃる通りです(乗り込んで斬り込みというパターンではない水軍)
ぴえーる:朝鮮水軍ももう少し調べてみたいところです。『亀船』という本が詳しいそうですが売ってない(涙
応其:そういえば「細川家家臣略系譜」は知ってる?>ぴ殿
続連:エックスボックスは、売れてないですね〜。ゲームキューブのほうが期待できそう
義綱:私はPS2買ってしまいました、ソフトは鉄1電車でバトルです(またマニアックな)
ぴえーる:一度、熊本県立図書館で読みましたが。<細川家>応其殿
応其:X-boxはCDに傷をつけて遊ぶ装置ですか?(藁
義綱:私も調べたいです。朝鮮水軍の亀船を知れば、当時の日本の水軍レヴェルも知る事ができそうな気もします。
続連:乗り込んで斬り込みでないというのは、産業革命後の西洋からだと思います
応其:さすが>ぴ様
義綱:それでは、本当に何を打っているのかわからなくなる前に失礼させていただきます。
義綱:おやすみなさいませ>オール
ぴえーる:お休みなさいませ〜。>義綱殿
応其:ほな、私もdiablo2に戻るか
応其:眠りなはれ>all ではでは
義綱:過去ログは、1週間以内にアップできればと思っております。それでは。
畠山匠作源義綱:が帰参いたしました。
悪食応其:が帰参いたしました。
ぴえーる:私もビデオ再生中のトリック2に集中しようかな?(笑
ぴえーる:ではでは〜。
続連:私も睡魔の攻撃を受けてますので(笑)。失礼させて頂きます。有難う御座いました>皆様
ぴえーる:が帰参いたしました。
長続連:が帰参いたしました。


−これにて終了−


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