冨樫関連NEWS

「『冨樫氏の歴史と遺跡』パンフレット作成」(令和3年9月21日更新)
  石川県中央都市圏(金沢市・白山市・かほく市・野々市市・津幡町・内灘町)の歴史遺産活用連絡会が、冨樫氏ゆかりの遺跡を紹介するパンフレットを2021年5月に作成した。加賀では江戸時代に100万石を築いた前田氏の認知度が高く、室町時代の守護であった冨樫氏の認知度は低い。そこで新型コロナウイルス感染症の影響が続く中で、近隣住民の方に近場を観光してもらうために作成したものだと担当者は言う。
 パンフレットでは、「冨樫館跡」「押野館跡」「高尾城跡」「御廟谷」「冨樫晴貞墓地」「槻橋氏の城館跡」「倉ヶ岳城跡」を中心として、25ヶ所の史跡を発掘調査や縄張り図などを基に紹介している。目的地の経路がわかるQRコードも付いている。パンフレットは5000部を作成して、上記4市2町の文化施設や公民館で配布している。近場の方は同地で手に入られるが、コロナ禍では遠方では旅行をするのもままならない状況である。金沢市の教育委員会に事情を話せば送付していただけた。早くこのパンフレットを使って冨樫史跡まわりをしてサイトを拡充させたい。
(2021/05/08付け中日新聞より)
「「富樫氏頌徳会」に変更 野々市市の奉賛会 市民参加へ」(平成24年7月13日更新)
 中世の加賀を治めた富樫氏をたたえ研究活動を進めている野々市市の「富樫 卿奉賛会」は27日、同市役所で理事会を開き、会の名称を「富樫氏頌徳(し ょうとく)会」に改めた。 名称変更は市制施行を機に検討してきた会活動見直しの一環。課題の市民参 加を促進するため、宗教的な意味合いの「奉賛会」から一般的に徳をたたえる 言葉の「頌徳会」に変えた。
 理事会ではこのほか富樫氏の歴史や治世を広く発信するため、9月1日に記 念事業を行うことも決めた。市文化会館フォルテ前に建つ富樫家国(いえくに) 公像前での式典や、同会館での歴史講演会開催を予定している。 「富樫卿奉賛会」は1964(昭和39)年に発足し、全国の富樫姓調査な どを行ってきた。会長の粟貴章市長は「会の名称変更を機に、富樫氏の歴史を市民に伝える活動に力を入れたい」と話した。
(2012/06/28付北國新聞より)
「今年の調査で発見 室町期の農耕地跡を市教委現地説明会開催」(平成24年1月14日更新)
  野々市市二日市町の二日市イシバチ遺跡で3日、同市教委の現地説明会が開 かれた。参加した市民50人は、今年7月以降の発掘調査で見つかった室町時 代の農耕地跡を見学し、富樫氏が勢力を誇るなど、加賀国の中心地だった600〜700年前の野々市の歴史に思いをはせた。
 農耕地跡はJR北陸線の南側にあり、参加者は13〜15メートル間隔で南北40メートルに延びる4本の溝を見学。垣根の跡とみられる小さな穴にも目を凝らした。周辺から出土し、時代特定の決め手となった珠洲焼の破片も手に した。 イシバチ遺跡では5年前から発掘調査が続き、これまで室町時代の集落や井戸跡が確認された。同市教委は「農耕地の全体像がはっきりと分かる発見は今回が初めて。富樫氏の時代は文献が少ないため、発掘調査で当時の様子を探ることができる」としている。 このほか弥生時代後期の竪穴住居1棟の跡も発見されており、参加者は野々市の歴史に関心を寄せた。(2011/12/04付北國新聞より)
「野々市町の富樫卿奉賛会が植樹へ」(平成20年9月12日更新)
 野々市町の富樫卿奉賛会は、10月に営まれる金沢市長坂町の曹洞宗大乘寺の開山者、徹通義介(てっつうぎかい)禅師の700回御遠忌(ごおんき)に合わせ、同寺に町花木「野々市ツバキ」を植樹する。大乘寺はもともと、徹通禅師が加賀守護の富樫家に招かれて野々市に開いた経緯がある。同会はツバキの植樹で野々市との縁を大乘寺に刻み、つながりを深めたい考えである。町などによると、徹通禅師は越前(現福井県)の生まれで永平寺の第3代住職となり、1293(永仁元)年ごろ、14代富樫家尚(いえひさ)に請われて押野地区に大乘寺を開山したとされる。同町太平寺1丁目のポケットパークには、徹通禅師が同地で荼毘(だび)にふされたことを示す石碑が残っており、町指定文化財「徹通和尚荼毘の墓」として禅師の遺徳を今に伝えている。
 富樫家の研究に取り組む同会は、10月の御遠忌に合わせ、9月下旬から10月上旬に大乘寺にツバキを植樹する予定で、記念石碑も建立する。ツバキは同町の街路記念樹生産組合が同町下林3丁目で育てている苗木から1本を選び、植樹場所は寺側と協議する。野々市ツバキは3月ごろ、白やピンクの色鮮やかな花が町内を彩る名物で、毎年「花と緑 ののいち 椿まつり」(北國新聞社後援)も開かれている。同会の佐久間由孝副会長は「富樫家と大乘寺との関わりは深い。その縁をツバキに託し、大乘寺に残すのは意義のあることだ」と話している。(2008/08/17付北國新聞より)
「中央公民館で冨樫氏“常設展示”」(平成20年6月16日更新)
 金沢工業大学内にある冨樫氏の歴史を研究する「富樫卿奉讃会」は、町立中央公民館で富樫氏の史料の常設展示を始めた。公民館には、冨樫政親が描いたとされる町指定文化財の「群馬図」や、政親が豊勝宮(現・白山市の宮永八幡神社)に寄進した際の書状等がある。冨樫氏歴代の居館となった館跡や系譜についての解説もあるという。展示期限はなく、見学は無料。冨樫氏の資料館としては、野々市文化公民館にある「ふるさと展示コーナー」や、御経塚遺跡すぐ近くの野々市町立ふるさと資料館に展示がある。加賀は江戸時代の前田家100万石が取り上げられることが多いが、野々市町は、冨樫の本拠地というだけあって、冨樫の歴史研究の推進を図っている。今後も一層の研究推進を期待したい。
「“富樫氏ゆかりの神社写真展”開催」(平成16年8月21日更新)
 8月1日に行われた冨樫氏の善政を歌った「野々市じょんがらまつり」に合わせて、野々市同町と『富樫物語』などを刊行した富樫卿奉賛会が、「富樫氏ゆかりの神社写真展」を開く。写真に掲載されるのは、布市神社や御馬神社など冨樫氏に関連ある神社41社。これは、富樫卿奉賛会の設立40周年記念事業イベントとして行われる。
期間:2004年7月31日〜8月29日
場所:野々市町郷土資料館
「『冨樫氏と高尾城の歴史研究会』が発足」(平成16年2月4日更新)
 近年の郷土史ブームの中、冨樫氏歴史研究会が座長に金沢学院大の東四柳史明氏(金沢学院大学教授)を迎えて発足した。将来的には冊子の刊行や講座も予定されている。平成15年度から3年間の計画で調査などを進めて、講演会・シンポジウムの開催、冊子を刊行などを行う。研究会のメンバーには、東四柳氏のほか、藤島秀隆氏(金沢工業大学教授)ら県内の専門家5人が参加する。冨樫氏にまつわる地域の伝承や、江戸時代の郷土史家の視点なども捉えて、冨樫氏の歴史を追う。
 今までは、金沢工業大学内に「富樫卿奉讃会」があり冨樫氏の書籍などを刊行したりしていたが、中世石川県の歴史研究の第一人者である東四柳氏が冨樫研究に加わる事によって、より専門的で且つ、講演会などで地域に根ざした冨樫研究が進められるのではないかと期待される。
「野々市町史刊行予定」(平成16年2月4日更新)<情報ソース:野々市町ホームページ>
 野々市町のホームページによると、『野々市町史』(全6巻)を以下の予定で刊行する。冨樫氏に関する部分はやはり『資料編1(考古・古代・中世)』で、鎌倉〜室町期までの冨樫氏の史料が掲載されている。年代順に掲載されているので、冨樫研究には必携本となうであろう。後は後に刊行される『図説 野々市町の歴史』にも冨樫氏の掲載があると思われる。

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